ボンジュー  ムッシュー サバ⁉︎

バスクシャツがフランスで通じないのは、昨日、前半のブログでも述べさていただきました。

また諸先輩方々も機会があるごとに同じことを述べておられます。

確かにアーネスト・ヘミングウェイの死後、遺作として1970年に出版された小説邦題「海流のなかの島々」

❝洗いたてのショーツ、古びたバスクシャツにモカシンという姿で外に出、斜面を下って柵囲いの出口を出ると、そこがキングス街道である。❞

という文章があります。

この本の巻末には、注解として「横縞入り、ニットのセーター型シャツ」と記されていました。

アーネストヘミングウェイ 海流のなかの島々 表紙

邦題「海流のなかの島々」 アーネスト・ヘミングウェイ (上巻)翻訳:沼澤 洽治先生 

引用元:Amazonさん

バスクシャツは、アーネスト・ヘミングウェイ説?

私は、英語版原文を読んでみることにしました。そのChapter 3 (第3章)に

❝He put on a clean pair of shorts and an old basque shut and moccasins and went out the door and down the slope and through the gate in the picket fence onto the white glare of the sun-bleached coral of the King’s Highway❞

Shirt (シャツ)では、なく Shutと書かれていました? 

なんじゃこりゃ?

これは、ネイティブの表現なのか?

スラングなのか? 

それとも全く違うものなのか? 単なる誤植か?

それともノーベル賞大作家の書き間違いなのか? 

しかしながら、別の章で

❝This time he had a white shirt and white duck trousers on and he wore sneakers.❞

と 白いシャツ a white shirt と書かれていますし、他でも shirt という単語は出てきます。書き間違いは、ないかと考えるのです。

アーネストヘミングウェイ island in the stream 表紙

原文「Islands in the Stream」Ernest Hemingway    

引用元: Amazonさん

私が翻訳したとして(沼澤先生は、アメリカ文学において研究の権威でもあり、叙勲を受けられた高名な翻訳の先生に対して大変、大変失礼しました。) (^_^;)

文脈から考えると ショーツを身につけ、靴を履いたなら、あとは、上着だろうな?と考えるは至極当然です。 

しかし「an old basque shut」 これはなんだと?

色々と調べてみたり、人に聞いたりしましたが… わかりません…

注解は、原作の英文には見当たりません。

私は、「横縞入り、ニットのセーター型シャツ」は、翻訳者の想像ではないかと考えるのです。

(決して批判ではございません。大変、大変失礼いたします。)(^_^;) (^_^;)

もちろんこれは、私の推測でしかありませんが、後述しますヘミングウェイの交友関係、それらの人たちの小説、昔の資料や写真からアメリカ文学の研究者でもあった翻訳者は、推察されたのではないか?

と私は、考えるのです。

それに、セーター型のシャツとは? どのようなものなのでしょうか?

同じ ニット素材で Tシャツ、ポロシャツは、あるのですが、この場合のデザインを考えるとヘミングウェイの文章は、 a Shirt ではなく a Sweater(セーター) か a Top( トップ)が適しているのではないか….? (ノーベル文学賞受賞に対して大変、大変、大変失礼しました。)

an old basque shutは、全く別のものではないかと考えるのです。

ただこの仮説を確かめるにもこの小説は、ヘミングウェイの死後の発表でありますし、翻訳者である沼澤 洽治先生は、お亡くなりにならてれおり、私には、為す術が思い当たらないのです。

Gerald(ジェラルド)& Sara Murphy(サラ・マーフィー)夫妻が広めた説?

裕福な家庭だったアメリカ人ジェラルド・マーフィーは、画家を目指して妻と共に1921年フランスパリに移り住みました。

当時の彼らは、無名でしたが、現在では20世紀を代表する錚々たる芸術家たちと人脈を作っていきます 。

映画ミッドナイト・イン・パリ
ポスター

映画 Midnight in Paris「ミッドナイト・イン・パリ」監督 ウッディ・アレン 2011年制作

引用元: Amazonさん

この映画で彼ら仲間たちのパリでの生活が描かれています。(ドキュメンタリーではないですが…)是非ご覧ください!

フランス パリ ロストジェネレーション世代の人たち

引用元:Apic/ Getty Imagesさん

いわゆる彼らは、「ロストジェネレーション」「ロスジェネ世代」「迷える世代」(日本でのロスジェネ世代は、失われたという表現ですが、こちらの迷えるという表現の方が合っていませんか?)と呼ばれた人たちです。

邦題「華麗なるギャツビー」作者 F・スコット・フィッツジェラルドもこの仲間たちで 彼の小説 邦題「夜はやさし」のモデルは、ジェラルドとサラ・マーフィー夫妻といわれています。

夫妻は、夏の間を過ごす為に1923年 南フランス Antibes (アンティーブ岬)に別荘を購入します。パリでの友人たちを招いた夏の海岸で過ごすとういう生活スタイルは、パリのオシャレな人たちの憧れとなったようでした。

南フランス 昔の夏のバカンス風景

引用元:Mark Crossさん

その地にあった船乗り向けの衣料品店でストライプシャツを見つけ着たのが始まりであった。という記事を読んだことがありました。

ジェラルドマーフィーとサラの2ショット

ジェラルドとサラ 引用元:Murphy Familyさん

しかしバスク地方は、大西洋沿岸。 アンティーブ岬は、地中海沿岸です。

距離も離れていますし、気候が全く違います。

共通するのは、フランスの沿岸というだけです。

また、ココ・シャネルが1917年にブルトンストライプをコレクションとして発表しました。

彼ら夫妻の仲間である「ロスジェネ」世代とココ・シャネルは、パリで交流があった記録もありますし、なによりココ・シャネル自身もアンティーブ岬に別荘を所有していました。

ココ・シャネルとジェラルドとサラ・マーフィー夫妻は知り合いだったと考えるのが至極当然なのではないでしょうか?

以上から、この説には、地域的にも時系列的に無理があるのかと私は、考えるのです。

  • 1666年 東インド会社設立
  • 1858年 フランス海軍のユニホームとなる
  • 1889年 Saint James 創業 
  • 1917年 ココ・シャネルが ブルトンストライプのコレクションを発表
  • 1922年 Le minor 創業
  • 1923年 ジェラルド&サラ・マーフィー夫妻が アンティーブで別荘購
  • 1928年 Fileuse d’Arvor創業
  • 1938年 Armor lux創業
  • 1939年 Orcival 創業
ブルトントップの位置関係を表したフランス地図

なぜ 20世紀の巨匠と呼ばれる人たちがストライプのシャツを着たのか?

ブルトントップを着た パブロ・ピソ

引用元: Robert Doisneau ​ さん

ブルトントップ?を着た アーネストヘミングウェイ

引用元: Life Magazine さん

ジェラルドとサラは、当時のファッションリーダー的存在だったであろうことは、疑いようがないと考えるのです。

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)アーネス・トヘミングウェイ (Ernest Hemingway) 画家、作家という枠を飛び越えた存在であり、超有名人である彼ら。

当時の彼らに大きく影響を与えたこの夫妻は、彼らにとっての「憧れの存在だった」のではないかと想像するのです。

彼らも結構ミーハーだったのかもしれませんね…

ジェラルドマーフィー夫妻のインタビュー 表紙

邦題「優雅な生活が最高の復讐である」新潮社文庫

(マーフィー夫妻のインタビューノンフィクション作品です) 

引用元:Amazonさん

ブルトン・トップ(Breton Top)

現存しているフランスで生産といわれているブルトントップの供給先は、1889年創業が一番古いのですが、フランス海軍ユニホームに採用されたのは、それより31年前です。

海軍ユニホームに採用される以前、それはいったい誰が?どこで?作っていたのでしょうか?

ブルトントップを着た ジェラルドマーフィー氏

これがセーター型のシャツ?

ジェラルド・マーフィー 引用元: Vanity Fair さん

バスク人と呼ばれる人たちは、漁業、捕鯨を生業としていた、大航海時代に船員として貿易に携わったという海に関係のある人種です。

現在では、スペインになりますがバスク地方には、 Bilbao (ビルバオ)というブルターニュ地方より古い時代に港として栄えた町もあります。

時代と気候から考えると、同じ大西洋沿岸のバスク地方の可能性も否定できないのです。

ブルターニュの地元に根づいていたワークウエアだったブルトントップ、ブルトンストライプ。

それをココシャネルがファッションアイテムとして発表し、20世紀の大スターたちが自らのワードローブに取り入れました。

もう一方で、ジェラルドとサラ・マーフィー夫妻がインフルエンサーとなり、彼らを取り巻く芸術家たちや後世の知的で、尚且つ 権威ある人たちが、このストライプのシャツに「特別な何か」を与えたのかもしれないと私は、考えるのです。

フランスでは「ブルトンマリン」「ブルトンストライプ」と呼ばれていた商品を日本で紹介しようとしたファッション業界人(この場合はジャーナリストさん?ライターさん?)が、それらを全部含めて、バスクシャツ」と呼んだのではないか?と 私は考えるのです。

私は、やはり都市伝説だと結論づけることにしました。

メルスィー  オバ!

crème de la crème

 TOM