兼高かおるさんの訃報を知りました
「兼高かおる世界の旅」という番組が私の生まれる前から放送されていたこと。 兼高さんが、私の母より高齢だったことを報道で初めて知りました。
物心ついた時から日曜日の朝は、この番組が必ずテレビに映っていて 家族で観ているのが当たり前のようでした。
兼高かおるさんは、とてもお綺麗であり、お洒落という印象と芥川隆行さんとの会話が絶妙で、子供だった私にもはっきりとそれらの記憶が残っています。
よく祖母と母が兼高さんのプライベートの話しを私にしていました。
同じ兵庫県神戸市出身ということも身近に感じていたのかもしれません。
辛口(笑)の祖母や母にもかかわらず、憧れの存在だったように想っていたと思います。
今は無くなってしまいましたが、パンナム(パンアメリカン航空)という航空会社がスポンサーだったかと思います。
今は、海外への旅行も身近になったと感じます。
その当時、外国為替は、固定相場性 確か 1ドル=¥360。
ハワイ 羽田 往復40万円近く 大卒初任給の20倍近かったと思います。
高度成長期とはいえども、とても普通の人が海外に行ける状況ではなかったと思います。
そういう状況でも兼高かおるさんは、観ている人に羨ましいとは感じさせなかったと思います。それは、憧れであったことだと思うのです。
今の世の中では、ジャーナリストでは、あまりいないなぁ…そんな人は…と
今の便利な時代と違うとはいえ、自らが企画し、取材し、自らの言葉で伝えていたという事も報道で初めて知りました。
そういうことの積み重ねが、子供の私にも伝わっていたのではないかとも改めて感じました。
「外国を知って日本も知る。日本を知って外国を知る」
なるほど、と昭和のおやじは、痛感しております。
ご冥福をお祈り申し上げます。
TOM